宮城北部海岸線ドライブ2016

新たな一歩を踏み出すとき
日本5周目・65回目のドライブ
実行日:2016.3.12
実行人数:2名
走行距離:229km
東日本大震災から5年目の週末。妻との結婚後初めてのドライブの行先は、被災地の景勝地巡りです。
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あぁ、そういえば僕は結婚しました。
前回の「大洗あんこうドライブ2016(5-64)」からのこの1ヶ月、それ関連でドタバタと奔走していました。
ま、妻とはまだ別居だけど、そう遠くない未来に一緒にこの石巻に住むことになるのでしょう。

今回は、そんな僕の住む宮城県北部海岸線を妻に紹介しつつの、結婚後初めてのドライブ。
そして、同時に2011年3月11日の東日本大震災からちょうど5年が経とうとしている運命の週末。
これら2つの意味での、宮城県沿岸部を知るドライブ企画です。
ってか、妻に会うのは入籍のとき以来なんだけどね。
昨日石巻に来てくれて、そんで明日にはまた帰らないといけないんだけど。ゆっくりできるのは今日だけ。


7:52 石巻出発


                 快晴の石巻

ちょっと早起きをしたら愛車の"浜さん"に乗り、妻と共に石巻の田園地帯を出発する。
あぁ、なんて快晴なのだよ。気持ちよすぎる。気温は-1℃なので、春とは思えないほどにとんでもなく寒いけど、清々しい。
1ヶ月前の「大洗あんこうドライブ2016(5-64)」で訪問した茨城県は気温20℃もあったのにさ、完全に季節が戻っている気分だよ。東北の春は遅いぜ。

7:56 三陸自動車道

家の近所の無料高速道路に乗りました。
今回、最初に目指すのは宮城県最北部にある海沿いの町、気仙沼です。
そこから南下をし、南三陸で海鮮丼を食べつつ石巻に戻って来ようと思うのです。

家を出て数分走ると、もう平原が無限に広がります。どこまでも田畑。こんな景色、僕らの育った横浜ではちょっと見れないだろ?自慢気に妻に紹介をします。一緒にこの近所をドライブするのが初めてな妻は驚いています。ま、そのうちこの景色が日常になるであろう。引っ越して来れば。


8:19 三陸自動車道 登米東和IC

ここが三陸道の終点。一般道へと降りました。ちなみにこの三陸道、どんどん建設が進んでいて、近い将来南三陸まで一気に行けるようになるらしい。そうなったら楽しいなー。


<道の駅 森林館>
8:34 道の駅 森林館

 
トイレ休憩

ICから県道202号を経由して国道346号に乗ったところにある道の駅です。ここは初訪問だな。
ここでトイレ休憩。まだ家を出発してから40分だけど。いかんせん寒いので、トイレ近いよね…。


そしてそのまま国道346号を辿り、1kmほどのわずかな区間を岩手県を霞めつつも、本吉駅付近で太平洋岸に出ました。
そうそう、ここの海に出る分岐はよく覚えている。海沿いは国道45号。僕らがやってきた内陸ルートは国道346号。
まだ東北人になるだなんて想像もしていなかった「東北一周ドライブ2014(5-23)」のとき、ここで天皇陛下とニアミスしたんだよな。懐かしい。記念にあのときのこの分岐点でのシーンを転記しよう。

> 国道45号と内陸部に入る国道346号の分岐点。
> 僕は当然、海沿いを走りたいので国道45号をキープ。
> だけども御一行様の進路を見てみると、内陸の国道346号からワラワラ登場してきている。
> なるほど、ここでお別れだ。僕は自分の進む道を曲げずに国道45号を突き進む。


妻にもこのときの思い出を話しながら、海沿いの国道45号を北上。
すぐに次の道の駅が出てきます。ここもちょっと立ち寄ろう。


<道の駅 大谷海岸>
9:13 道の駅 大谷海岸


     建て直された道の駅             「あの日を忘れない」

ここも僕の記憶の中にバッチリ残っている道の駅。
震災のちょうど1年前の「三陸海岸縦走(3-84)」で車中泊した場所です。
当時は道の駅と鉄道駅がくっついていて、日本一海に近い駅っていうのをウリにしていたんだよね。

だけども2011年3月11日の東日本大震災の津波で壊滅してしまいました。
そして2013年の「宮城・山形ドライブ(4-77)」で再訪したときには当時とあまりに変わってしまったロケーションに愕然としたね。
前回の東北一周ドライブ2014(5-23)」のときは、天皇陛下を待つ人たちでゴッタ返していたのでそのまま前をスルーしたので、ちゃんと立ち寄るのは日本4周目以来だな。


           
残る線路                  防波堤の向こうで作業

日本4周目でも見た「あの日を忘れない」と書かれた献花台がある。
そこには花が供えられ、手を合わせている人もチラホラいる。"あの日"からちょうど5年目の週末。今日はきっと特別な意味を持つ日なのだろう。
道の駅の建物の裏には残った線路があり、その向こうの防波堤の先の海には、工事のクレーンがある。
このあと、三陸海岸の海沿いはほぼ全て高い防波堤とか嵩上げをして、今後の津波に備えると聞いている。
また今とは全く違ったロケーションになってしまうのだろうな。


この先の国道45号沿いには、ちょっと気になっているドライブインがあったり「岩井崎」があったりするけど、とりあえずスルー。
また来た道を戻るので、そのときに立ち寄ってもいいし。
まずは今回立ち寄りたい最北部にある気仙沼の町を目指します。

 沿岸部はまだ荒れ地

今回訪問したいのは、「シャークミュージアム」。
国道45号を反れて気仙沼湾の面した場所にあるそうだ。適当にナビにそれっぽい場所を入力したのだが、僕のナビデータは震災前の物。なのでちょっと迷っちゃいました。
沿岸部に行くと、ほぼ一面荒野だね。このあと沿岸部の嵩上げ作業などをやって行くのだろう。水産加工工場がいくつかある程度で、その他は何もない。トラックだらけ。


<「気仙沼シャークミュージアム」>
9:55 「気仙沼シャークミュージアム」


     
隣は「気仙沼市魚市場」                       震災時の津波到達地点

シャークミュージアムは「気仙沼海の市」っていう、海産物土産を売っていたり食べたりもできる複合施設内にあります。
そんでその目の前には「気仙沼市魚市場」。本当に海に近いのだ。

しかも湾になっているので、震災のときには津波が押し寄せ、この建物も1階部分は完全に浸水したそうだ。
建物の外壁を見上げると、津波到達地点のマークがしてある。
恐ろしい。1階にいたら到底助かりそうにないような、そんな巨大な津波が来たのだね。


        
海の市内部               シャークミュージアムへ             震災時の被害

海の市内にあるお土産物屋とかを眺めつつ、2階にあるシャークミュージアムに向かう。
料金を払い、中に入ります。
ちなみにこのシャークミュージアム、水族館ではないので生きているサメはいません。剥製だとかの展示物がメインです。
国内唯一のサメ専門の博物館だったんだけど、震災で営業できなくなり、およそ3年後の2014年4月にようやくリニューアルオープンできたのだそうです。

コーナーの前半は、その震災被害とそこからの復興についての展示資料です。
壊滅した町並みのパネルや映像展示が続き、そして数10人が入れる映像シアターが出てきたのでそこに入ります。僕ら以外には誰もいないけど、上映スタートです。

 
気仙沼復興シアター

このシアターでは、震災とその津波で壊滅的な被害を受けてしまった気仙沼の港町の紹介、そしてそこから立ち上がる過程を追っていました。
故郷・港を愛する人々の、1人1人の思いと力で、こうやって復興の道のりを歩むことができたんだね。気仙沼愛、しっかりと感じることができたよ。15分ほどだったけど、いい作品だった。
…って思って横を見たら、妻が涙ダバーっと流していたけど。はい。

そしてようやく本題のサメゾーンが出てきます。


        
サメゾーン                                 実物大のホオジロザメ

まず目を引くのは実物大のホオジロザメの模型。ジョーズだね。歯は本物を使っているんだって。うかつに触ると危ないぜ。
あと、世界のサメの写真の展示や、生態の紹介。アゴ全体の骨格標本の展示も多数ありました。

一番大きな古代ザメ、メガロドンの実物大のアゴ骨格はゲートになっていて、その向こうのミニシアターではサメ研究しているダイバーの人の、サメに関する説明の映像作品になっていた。
そして4mほどのジンベイザメの実物大模型でフィニッシュ。


       
 アゴの骨格                 ジンベイザメ                  YAMA&妻

こんな感じで、内部は震災ゾーンとサメゾーンで半々くらいでした。むしろ震災関係の方が心に響くものがあったかな?
サメゾーンはインパクトのある展示物・動きのある展示物が少ないし、敷地面積も1分あれば歩き回れる程度なので、もう少し充実感がある方が個人的には好みかな?
しかし、これで気仙沼に新しい思い出ができました!よかった!

10:56 出発


そして国道45号の来た道を引き換えし、海沿いに南下をします。
この道をこっち方面に走ると、 前回の「東北一周ドライブ2014(5-23)」のときの記憶が甦る。
気仙沼の復興商店街で食事処のおっちゃんに「これから気仙沼に天皇陛下が来るぞ」と言われてから、警備網をなぜか掻い潜って天皇陛下ギリギリまで接近したあの日の光景。

そうそう、あのときは気仙沼の市街からフラリと「岩井崎」に行ったんだよね。
そしたら陛下も「岩井崎」を目指しているところで、岬は厳戒態勢だったんだよね。
じゃ、今回も「岩井崎」に立ち寄ってみよう。

 
岬に向かう

陸前階上駅の付近で国道45号を離れ、東の小道に入って岬の先端方面に向かう。
小さな岬なので、先端までは2kmほどです。ここいらも津波の被害を受けたらしく、荒野となっています。


<岩井崎>

11:20 岩井崎

気仙沼湾の入口に位置する岬です。今回で3回目の訪問ね。
岬の先端には"第九代横綱秀ノ山雷五郎"の銅像が立っています。海に向かって右手を突き出しています。震災の津波にも耐えたそうだ。さすが横綱。皇后陛下もその頑丈さを褒めていたよな、確か。


             岩井崎の先端部分                    
九代横綱秀ノ山雷五郎

その横には、津波でバキバキになった一本の松。その姿はまるで龍のようだと話題になっています。
てゆーか、今回も訪問の最大目的はその龍の松です。ここを初めて訪問したのは2013年の「宮城・山形ドライブ(4-77)」だから、ぶっちゃけ震災前のこの岬を知らないんだよね、僕。
震災の爪痕、そしてそこからの立ち直りを象徴するのは、この龍の松だと思うよ。

龍の松は、そのシルエットが本当に龍の頭・角・髭・そして腕を再現しています。
震災の津波で折れたその姿が、偶然に龍の姿になったそうで。これはすごすぎる。


                    津波で折れた松                            龍のシルエット

そして岬の先端へ。日本4周目では天皇陛下到着直前の厳戒態勢と、陛下への説明のリハーサル等で、岬の先端部分までは行けなかったのです。なので日本3周目以来の岬の先端。
ここは風の強い日は岩に当たった波が「ドブシャァァ!!」って砕け散る、潮吹き岩があります。
日本3周目のときは穏やかで見れなかったけど、今回は盛大に噴き上げていました。

途中、観光客のおじさん・おばさんから「あなたたちの写真を撮ってあげよう」と言われたので、お言葉に甘えて記念撮影をしてもらいました。ありがとう。



        岬の先端の岩場               潮吹き岩                 岬で記念撮影

岬、寒かったです。今、ホントに春なのか?かなり凍える。
強風だったこともあり、体感温度は氷点下だったのではなかろうか?でも、とてもいい岬でした。ここは好き。


岬を出発し、再び国道45号の南下をします。
11:43、往路のときに立ち寄った「道の駅 大谷海岸」の前を通過しました。
次の目的地は「大谷海岸」から国道を南下すること7kmほどの場所にある、「大沢ドライブイン」。
ここにはちょっと気になる自販機があるのでね、マニアックだけども妻にもお付き合いしてもらいます。

 
大谷海岸を通過


<「大沢ドライブイン」>
11:52 「大沢ドライブイン」

見るからに昭和の匂いがするドライブイン。営業しているのかどうかはちょっとわからないけど、内部が全く見えないことや、駐車場に車がいないことから、ほぼ確実に営業していないものと思われます。
でも、週末のこのランチタイムに営業していなくって大丈夫なのかな??今の時代、どこのドライブインも苦しんでいるだろうから、元気に営業していてほしいものだけども。

だが今回の僕の目的はこのドライブインの本体ではありません。
その建物の前にひっそりと佇む、赤くて古い自販機です。


                   
国道沿いのドライブイン                       コスモス自販機

ここまで書くと、大半の人が「あぁ、YAMAのヤツ、またレトロ自販機で麺類とかハンバーガーとか食う気だな」って思うだろうけど、今回は違います。コスモス自販機です。

僕はコスモス自販機を見るのはこれが初めてだし知識も経験も不足しているのでピンと来ないんですけど、マニアから見たら絶叫モノの激レア自販機です。稼働しているヤツなんて、もう日本には数機しかないみたいです。
これは1970年代終盤から1980年代後半までに盛り上がっていた、「株式会社コスモス」っていう会社が出していたオモチャ自販機です。
数10円から数100円で数タイプがあり、それぞれランダムに入っているオモチャを入手できたらしい。ま、現在もあるガチャガチャと同じようなシステムだね。

全国6万箇所にこの自販機があったそうで、40代前後の人とかはリアルにこの世代だそうで、いろんな思い出を持っている人もいるらしい。僕は生まれてはいたけども全然知らんけどね。自称帰国子女だから、きっとアメリカにでもいたんだと思う。


                 
    昭和の自販機                            レバーを下げる

ボコボコに古びているヴィンテージ感丸出しの赤い自販機。
記載されている指示に従い、100円玉を入れて3秒待ってから、備え付けのレバーをググーッと下げます。
するとコロンと音がして、受け取り口に白い小さな紙の箱が出てきます。
あ、場所によってはこの箱はコスモスのオリジナルの箱だそうだし、ここも少なくとも3年くらいまではそうだったとの情報があるのだけどもね。ただの白い箱だったのはちょっとだけ残念。

そして僕、オトナですから財力に物を言わせ、もう1つ購入しちゃいました。合計2つ。
それ以上買わないのは、調子に乗ってバシバシ買って売り切れになってしまい、もし自販機マニアの人が僕の後にここに来て悲しんだりしないように。2つくらいだったらいいよね。


        
商品ラインナップ                             おもちゃをゲット!

車に戻り、早速箱を開けてみる。
1つは、スパナのかたちのキーホルダー。シンプルだけどもまぁまぁ丈夫。自販機に貼ってあった"男の工具"ってシリーズの1つなのだろう。これ、家の鍵用のキーホルダーにしよう。記念にさっそく取り付ける。
もう1つは手品グッズだそうで、一見するとただのタバコの吸い殻。口にくわえて息を吹くと、先端が赤く光り、さらに先端についた灰を見立てた粉が風圧で飛ぶ仕掛け。でもこれ、数回やったら灰が全部なっちゃうね。かといって、何10回もやって楽しめるようなものでもないけど。

まぁ、いい記念ではないですか。もっとヘンテコで無価値なものが出て来たとの報告もネットでよく見かけるから、それなりの覚悟をしていたのだけど、遥かにマシだったし。というより、何が出てこようとネタになるから、僕的にはハズレ無しだな。



     
  破壊された橋梁               荒れ地と気仙沼線               陸前小泉駅

本吉駅付近で、朝に僕らがやってきた国道346号との分岐がでてきます。
今回はこのまま国道45号を辿って南下します。次の目的地は、南三陸の「さんさん商店街」。

すぐに津波で崩壊した気仙沼線が間近に見えるルートとなります。
陸前小泉駅付近の「津谷川」では、鉄道線路が途中で途切れている。その先にある陸前小泉駅は、鉄骨やガレキを残して消失しています。この陸前小泉駅は、かつて「宮城・山形ドライブ(4-77)」にてホーム跡まで歩き、ガレキの中を見て回ったりしたな。

 
南三陸町防災対策庁舎

南三陸の町に入りました。
「南三陸町防災対策庁舎」の震災の津波で骨だけになった建物が目に入ります。

ここには12mもの津波が押し寄せたのだそうだ。そりゃもう、骨だけ残っているだけでも奇跡だよな。
南三陸の津波被災のシンボル。つい2ヶ月ほど前に、この建物をこの後も保存して周辺を復興記念公園とする案が固まったのだそうだ。まだ周囲は荒地だから、長い長い道のりかも知れないけど。


<「南三陸さんさん商店街」>
12:34 「南三陸さんさん商店街」


         
復興商店街へ              イースター島のモアイ             鉄道代わりのバス

この商店街は、震災約1年後の2012年2月25日にOPENした仮設商店街。
震災で店舗を失った人だとかが復興のために集結し、およそ32店舗がここで事業を行っています。
三陸に数ある復興商店街の中でも、結構大規模かつ有名なところですよね。

敷地のすぐ隣には、志津川駅があります。とはいっても、来るのは電車ではなくてバス。
鉄道駅は震災の津波でホームを残して消失したそうです。なので、今はBRT(バス・ラピッド・トランジット)っていうシステムで、鉄道不通区間をバスで運行しているのです。
駅の中もちょっと見学しました。待合室や時刻表、券売機などがありました。


                     プレハブ商店街                             
妻とモアイ

南三陸ボランティア(5-48)」以来の2回目の、さんさん商店街内部です。
商店街の入口とか商店街の中には、ここいらのシンボルであるモアイ像が立っています。
なぜモアイがシンボルなのかと言うと、過去の僕のドライブ記録の「三陸海岸縦走(3-84)」・「宮崎・山形ドライブ(4-77)」・ 「東北一周ドライブ2014(5-23)」などを見てもらえればと思うのですが、このすぐ南にある「戸倉海岸」を訪問したときの記載でも抜粋しましょうかね。

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<2010年、「三陸海岸縦走(3-84)」からの抜粋>
 1960年、チリ地震で発生した津波で三陸海岸は大きな被害を受けました。
 それから30年経った1990年、「あのときの教訓を後生に残さなきゃな」って思い、何か形に残るシンボル的なものを
 作ろうってなりました。

 そのとき出た案が、同じ被災地として友好関係にあるチリの「イースター島」のシンボルであるモアイ像。
 さっそくチリの彫刻家に作成依頼し、そして遥々完成品を運んできたのがこれだそうです。
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ま、そういうことなんだそうです。


      
 名物のキラキラ丼                 食事処が並ぶ

店舗は食事処以外にも、電気屋さんとか服屋さんとか写真屋さんのように、観光客向けだけではない一般的な商店街のようなお店もあります。妻と雑貨屋さんなどを見て回ったりしました。

では、当初からここでランチにしたいと思っていたので、どこかのお店に入ります。
ここの商店街では"キラキラ丼"っていうネーミングの海鮮丼を出している食事処が多い。
どうやら、春夏秋冬それぞれの時期に、今の季節をテーマにしたキラキラ丼というネーミングの丼を出すのだそうだ。
そしてそれぞれ、下記のような季節とテーマを元に、各店舗がオリジナル丼を作っています。

 ・キラキラ春つげ丼(3月〜4月)
 ・キラキラうに丼(5月〜8月)
 ・キラキラ秋旨丼(9月〜10月)
 ・キラキラいくら丼(11月〜2月)

今の時期は、ウニは無いんだね。どっかで見てウニがありそうな情報があったのでウニ好きの妻は楽しみにしていたそうなのだけど。じゃ、次はまた夏にここにキラキラうに丼を食べに来ればいっか。
そして、その頃には妻と同居していると思うので、そのまま秋・冬のキラキラ丼を食べれれば、全制覇になるしね。


<「松原食堂」>
商店街のプレハブの食事処の1軒、松原食堂で食べることにしました。
ランチ時なので結構な行列。商店街の中央には巨大な東屋のような共用の休憩所があってそこでも食事処で購入した海鮮丼を食べれるそうだけど、かろうじて気温が氷点下を免れているような気候じゃ無理。

お店の内部はどこも狭いらしく、やや待ち時間がかかる。
20分ほど並んでようやく店内へと入れました。でも、なぜか僕らの後ろには誰も並んでいないのな。
なんだこのパターン。僕らの20分、無駄だったのか?


                      
春つげ丼

僕らはカウンター席を案内されました。座ってしまえば、メニューはそれなりに早く登場。
春つげっていうネーミングだけあって、華やかな感じです。
イクラ・マグロ・大きなホタテに牡蠣・サーモンなどと色とりどり。おいしかった。満腹になった。

次はウニの季節、6月にまた来たいなぁ。ここだったら石巻の我が家からきっと1時間ちょっとで来れるし。

13:50頃 出発


ここから国道398号で内陸部に入って行けば石巻までとても近いのだけども、今回は敢えて海岸線を使って帰ります。
女川とかを経由するルートで、内陸ルートより3倍くらいの距離があるけど、まだこの時間だから余裕で観光できる。


                   
 沿岸部の嵩上げ

南三陸の沿岸部は、ほとんど建物がありません。大体津波で流されてしまっているから。
今はその土地の嵩上げをやっているみたいです。各所にピラミッドみたいに大きな盛り土ができている。
これが完成しても、もう震災以前とは全然違う町になってしまうのだろうね、きっと…。


海沿いの国道398号で南に走ります。
昨年夏の 「南三陸ボランティア(5-48)」で行きたかったけども見つからなかった「戸倉海岸」のモアイのある公園、再度キョロキョロしたけど見つかりません。
前回は暴風雨だったから悪天候で見逃した可能性もあると思っていたけど、今回は確実に無くなったと確信した。公園の跡地的なものだったらあったから。
そこも嵩上げの対象。公園ごと工事のために潰されてしまった模様です。

あーあ、では 「東北一周ドライブ2014(5-23)」で訪問したのが最後になっちゃったね。
せっかく壊れつつも津波からも生き延びたモアイ像。修復されて展示してあったのに。
またいつの日か、嵩上げが終わって、その地に公園が改めて造られたら、あのモアイに再会できるかな?


<神割崎>
14:19 神割崎


       
愛車の浜さん                海を見下ろす東屋

なんかここ、最近よく来るよな。初訪問が日本4周目なのに、日本5周目でもう4回目の訪問。
つまり、今回が5回目の訪問だ。

ここは昔左右で違う村で、海岸に打ち上げられたクジラをどっちの村のものかで取り合っていたんだって。
そしたら神の力でバックリ大地が割れちゃって、争いも解決したんだとか。
その割れた入り江の隙間から波がすごい勢いで突入して来る景勝地です。


                            2つに割れた大地 

んー、今回はまぁまぁだな。波が静か。「岩井崎」のときにはあんなに強風だったのに。
暴風のときに訪れた「南三陸ボランティア(5-48)」のときはすんごかったのにね。もう階段の一番下にあるハイライトのスポットに行く前に、各所から飛び散った波が襲いかかって来て大変だったもん。
妻にも、前回"ニコル君"と来たときにはどんだけハードだったか熱弁したよ。
ま、でも景観だけだったら晴れている今日の方がステキだけどもね。


「神割崎」を境に、南三陸町から石巻市へと入りました。
海沿いの国道398号を引き続き10kmほど南下すると、「北上川」の河口に辿り着きます。
しばらくはこの「北上川」の河川敷に沿って走るルート。広いなぁ、この川。東北有数の川だもんな。だからこそ、震災の津波は猛烈な勢いでこの川をさかのぼり、流域に著しい被害を出したのだ。


                    
 広大な北上川                         新北上大橋からの北上川

南三陸ボランティア(5-48)」のときには、「新北上大橋」の直前まで行ったけど、時間の都合で進路を変え、内陸部に入って石巻市の中心部を目指したのだ。
今回は「新北上大橋」を渡る。その先には、震災で甚大な被害を受けた「大川小学校」がある。石巻の被災地としては最も有名と思われるスポット。かなり重い気持ちにはなるが、この機会に訪れてみたいと思うよ。僕も初めての訪問だ。


<大川小学校 旧校舎>
14:53 大川小学校 旧校舎

東日本大震災の津波の直撃を食らい、校庭にいた生徒78名中74名が死亡し、教員も11名中10名が死亡したという、戦後最悪と言われる学校での死亡事故となった地です。
あの日から5年。献花台にはたくさんの人が花を添えている。
慰霊碑もあるけど、そこは撮影禁止でした。


                 
 円形のオシャレな校舎                          津波の痕跡

この大川小学校での一件は、今も非常に揉めていますね。
地震直後、生徒はみんな校庭で待機させられて。このまま待機かどこかに避難しようかと教員が揉めて、最終的に「北上川の方に逃げよう」と教員が判断し、みんなで移動し始めた直後に津波が襲いかかったのだそうだ。
学校のすぐ裏は山で、そちらに逃げれば助かった可能性が大なのだが、初動の遅れで甚大な被害を出してしまったのだとか。
しかし、ほとんどの教員が死亡してしまったので、事の経緯はもうあまり変わらない状態となってしまったしね。

1000年の1度と言われる規模の津波だし、まさかここまで来るとか想像もしなかったのだろうが、それでも失った代償はあまりにも大きい。誰かに非があるのか、それとも…。
歴史に「もしも」はないけれど、あまりに悲しいね。僕らも慰霊碑に手を合わせました。


    
    校舎の裏側から                              崩れた校舎


国道398号は、クネクネとしたリアス式海岸沿いの道を辿りながら、女川町方面に続きます。
左手は海、そして右手は山。アップダウンも多くそれなりに道も細くって、運転していて疲れます。
さらに震災関係のか、対向車は大型トラックだらけ。こちら側はなかなかの渋滞。妻は助手席で昼寝。うむ、シンドい。

ところどころは入り江に浮かぶ養殖イカダが綺麗だったりするけど、基本的に面白味は無い道です。
女川の中心地に着いたのは15:45。「大川小学校」から40分ほどもかかりました。
女川も津波の被害でほぼ壊滅した町。かつて町の中心地だった沿岸部は、今は全部工事現場。嵩上げ工事の真っ最中です。


         
 養殖イカダ                女川の沿岸部

「万石浦」に浮かぶ養殖イカダを眺めながらさらに走り、石巻中心地にある「旧北上川」の中州の「石ノ森章太郎記念館」が見えてきたのは、もう夕焼けの時間帯の16:15でした。UFOみたいな特徴的な形の建物ね。
もちろんあの中洲も津波を食らい、中州に多くあった家屋は軒並み無くなってしまいました。
「石ノ森章太郎記念館」も被害を受けて2年近く休業していたね。

このあとは最後の目的地、毎度おなじみの「とまりの駅」を目指します。
石巻中心地の海側、津波の被害でほぼ家屋が消失してしまったスポットです。
嵩上げ工事のためか、来るたびにアプローチルートが変わっていて、戸惑うね…。


    
 石ノ森章太郎記念館             石巻沿岸部


<とまりの駅>
16:25 とまりの駅

"がんばろう!石巻"の場所ね。ここに来るのは4回目です。
このスポットは、石巻の中心地では最も震災の津波の被害を受けた、門脇地区にあります。
一番最初、僕は日本4周目の「宮城・山形ドライブ(4-77)」でたまたまここを発見したんだったね。

横に立っているポールは、津波の高さを示すもの。ポールのほぼ最上部の、6.9m地点まで津波が来たんだ。
建物の1階部分はほぼ丸々飲み込まれる計算。恐ろしい規模だね…。
ここは妻に紹介したくって。石巻の復興のシンボルだし。


                           
"がんばろう!石巻" 
 
この看板は震災1ヶ月後、配管事業をしていた人が店舗兼自宅の跡地に手書きで作ったもの。
本当にガレキに埋もれた中で、全てを失って沈んだ石巻の人たちを励ますために、これを作ったのだよ。

しかし今回ここで知ったのだが、震災5年目を期に新しい看板を作成する計画が進んでいるのだそうです。
現在のヤツ、つまり初代は5年もここに立っているので劣化が進んできているのだそうで。
1ヶ月ほどかけて製作し、来月4月11日、つまり震災から5年と1ヶ月後にリリースなのだそうだ。
その際には、今と設置場所を少し変え、たぶんここより30mほど後ろとなるのだそうだ。

そういえば前回までは無かった「南浜つなぐ館」っていう建物ができている。この横あたりに看板が移動になるのかな?
「南浜つなぐ館」では、被災した沿岸部の状況の説明資料や、語り部による震災体験が語られるそうだ。


     もうすぐ引退する看板               南浜つなぐ館                嵩上げが始まる

作成した人の住戸跡にあるから、建物の基礎もあるし一部部屋の痕跡も残っていて、その生々しさも感じられるスポットだったのだが。移動したらもうそういうロケーションじゃなくなっちゃうのだろうねぇ。
これが一旦の見納めだ。妻には初代の最期の姿を見せることが出来て良かった。


さて、最後に国道45号を使って石巻の内陸部に数q入り、お気に入りの道の駅で買い物をします。
夕焼け空が広がっている。真っ暗になる前に帰宅できるといいな。

 
石巻の夕焼け空


<道の駅 上品の郷>
16:57 道の駅 上品の郷

国道45号沿いにある道の駅です。
すごいいい温泉施設も併設されているし、農産物直売所では安くていい野菜がたくさん売っているのです。
都会にはない強みだよね。ここで食材の買い出しをしました。


                   
新鮮な野菜を買いに


17:30 帰宅

はい、こんな感じの夫婦としての初ドライブでした。
妻がまたこっちに遊びに来てくれるのは1ヶ月後くらいかな?
その頃には、世間は桜の時期だね。次は、そんな中を桜を見ながらドライブしたいな。




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